我が家の魔女裁判

 秤が量るのは重さだけではない。古代エジプトの「死者の書」には、真実の羽根と死者の心臓を天秤で量っている絵が描かれている。死者への永遠の魂の下賜(かし)を天秤で裁決するのである。法と掟の女神テミスが持つ天秤は正邪を測る正義の象徴である。中世ヨーロッパの魔女狩りでは、天秤が魔女の判定に利用された。箒に乗って空を飛ぶ魔女は極端に軽いと信じられていたからである。

 それでは、被告人についての魔女疑惑の審理を始める。裁判長は洗面脱衣所のデジタル体重計であり、裁判を公明正大に執り行う。被告人は私の母、女房、そして三人の娘である。嫌疑なしは男の私だけだ。重要参考人としての出廷を父に要請したいが、今では叶わない。準拠する判例は「体重が、身長から百十を引いた値より小さいと魔女」である。ただし、体重と身長の単位は、それぞれ、キログラムとセンチメートルとする。魔女の最重要任務は箒に乗って空を飛び人々の家を訪問することにあるから、彼女たちは太ると失職する。
 第一の被告人は私の母である。彼女は今年で八十五歳になるが、眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんい)すべてが達者だ。我が家は二世帯住宅であり、母は単独で生活している。うす暗い部屋の中で黒い不気味な塊を煮炊きしながら、怪しげな呪文を唱えていたとの目撃証言がある。本人はぼたもちを作りながら、自分のオリジナルな詩を朗読していたと弁明する。しかし、信頼できる筋からの情報がある限り、裁判長の判断を待つ必要はない。彼女は魔女である。そうでなければ、山姥だ。魔女は一般人よりも長生きであるから、この判決は被告人には有利に違いない。
 三人の娘は二十五歳、二十三歳、十七歳である。システムエンジニアである長女は、面接におけるオシャレな受け答え「数学と格闘技が好き」が採用の決め手と自賛するが、これは長女の嗜好ではなく、私のものだ。次女は園芸学部の修士課程に在学中であるが、クヌギとコナラを見分けられない。三女は高校三年生で進学は薬学部か看護学部かで迷っている。女房によれば、三女の優柔不断な性格は父親譲りとのことだ。
 体重測定によれば、三人の娘はそろって魔女である。私が子供のころに「奥様は魔女」というテレビ番組があって、主役は良人の言うことなら何でも魔法で叶えてしまう魔女だった。子供の私もこの魔女に憧れた。そう遠くない将来、私の三人の魔女たちも奥様になるだろう。ロングスカートとハイヒールを新調し、箒に乗って、自分を憧れる人のもとへ飛んでいく。
 最後の被告人は私の女房である。彼女は三人の娘たちよりも背が低く、第四子の受胎から十年を過ぎているのに未だに天使ガブリエルから告知されず、その腹にダイエットは必要ないとうそぶいて、ソファに寝そべりテレビを見ながらポテトチップスをほおばる。歳は、私より一つ下だから、五十六だ。女房の体重測定の前に、一つだけ述べておく。「測定」は、娘たちに関しては自己申告であるが、女房についてはそうではなく、娘たちからの情報提供である。
 はたして、被告人の疑いは晴れた。女房は魔女ではない。そして、私は三人の娘たちを見ながら三十年前のことを思っている。
 奥様は「魔女だった」。今では箒に跨っても飛べない。どこへも行けない。ここに居る。

 

令和二年二月二十一日