胤永寺の坐禅会に私は参加している。そこで、方丈様は次のように説かれたことがあった。
「九歳の法然上人は、闇討ちによって死の床についていたお父様に呼ばれました。
『決して仇討ちをしてはなりません。仇討ちは次の仇討ちを生み、またその次と、世の中に殺し合いを広げます』とお父様は仰いました。
目には目はいけません。恨みという煩悩に操られている人間は六道輪廻の地獄道に落ちます。この煩悩を滅却しませんと、極楽浄土へは行けません」
私は海外出張が多い。私の家族、母、女房、三人の娘はこれを大歓迎している。その理由はお土産である。三人の娘は十代と二十代であり、希望は化粧品などのブランド品だ。八十五歳の母と五十六歳の女房もこの点だけは若い娘たちと変わりはない。五人はめいめいに思うところの品物のリストを作り、私に託す。リストには依頼主の名前、製品の名称と番号が記載され、製品の写真も添付されている。代替案は備考欄にある。
ある出張のときであった。私はリスト記載項目以外に重要な任務を与えられた。それは私の裁量による土産品の調達であった。出張先は一二一八年に創立されたスペイン最古のサラマンカ大学だ。スペインと聞けば革製品という条件反射が家族に起きた。ところが、旅程に問題があった。マドリッドの空港からサラマンカまで三百キロメートル弱をレンタカーで移動するため、マドリッドでの市内観光に十分な時間が割けない。つまり、有名ブランド店に立ち寄る時間がないのだ。そこで、彼らは思い思いのバッグの絵を描いて私に託した。
成田空港の出国審査を通過すると、たくさんのブランド店がある。私はそのうちの一つに入り、店員に家族の第一リストを見せた。他の店舗と協力して承りますとの応対だった。これで一つ目の仕事は片付いた。
会議の名称は18th International Conference on Noise and Fluctuations-ICNF 2005、期間は九月十九日から二十三日であった。演題の総数は約三百、日本人の発表は私の発表も含めて二十と記憶している。最終日に大学内を散策した。おびただしい数の装飾が施されているプレテレスコ風ファサードは印象深かった。図書館の書架は二階建てだが、全体は吹き抜けで、天井は四階くらいの高さがある。教室の教壇は教会の説教壇(pulpit)のようであり、階段を十段くらい上った高いところから聴衆と向き合う。いつか、この教壇で講義をしてみたい。今後の予定は、セゴビアのローマ水道橋の見物を残すだけとなった。
スペイン滞在最後の夜、私はホテルの部屋で、苦労して買い求めた第二リストの品物を床に並べた。五個のバッグはどれも紙の詰め物で膨らんでいるので、このままではスーツケースには収まらない。詰め物を放り出すとバッグの形が崩れる。そこで、何かしらの方策を講じる必要があった。
娘三人には肩掛けバッグ、リュックサック、ウェストポーチだ。シンプルなトートバッグはシンプルな体型でない母と女房に。茶、黒、ベージュ、クリーム、ピンクの滑らかな肌触りの曲面は革製品特有の匂いを漂わせていた。我ながら良い買い物だと思った。はたして、五人は期待しているだろうか? 母は「この子は子供のころから……」、女房は「お父さんにはとても……」と否定的であったが、娘三人は「こういうふうでああいうのをお願いします」と少しは期待しているような口ぶりだった。第二リストの絵と字を眺めていると、家族の顔が浮かんできた。四人はボールペンだったが、母は筆で書いていた。
いつもの出張でこんなことはないのだが、私は彼らの顔を見たくなった。彼らも家族で唯一の男である私を少しは気遣っているだろう。しかし……。三女が誕生日にくれた靴下は私には小さすぎたが、女房にはピッタリだった。長女がくれたカーディガンは私のサイズだが左前だ。歯ブラシホルダー六人用は売ってなかったと言って、女房は私にだけ一人用ホルダーを買ってきた。不可解なのは、私のホルダーだけ離して置いてあることだ。歯磨きチューブは私専用で、洗濯籠もそうだ。風呂場には、コンディショナー、フェイスジェルなど得体の知れないものが棚からあふれるほど置いてあるのに、私には端に除(よ)けてある固形石鹸だけの使用許可が下りている。階段下収納の消火器の脇に並んで置いてあるゴキブリスプレーと消臭スプレーの後者は親父スプレーか?
時間をなんとかやりくりして出来る限り多くの店をまわり、第二リストを見ながら丁寧に品定めをした俺の努力に、感謝はない、恩義はない、配慮もない。チクショー。よおし、目には目だ。その時、妙案が浮かんだ。バッグの詰め物をぜんぶ出して、代わりに洗濯ものを詰める。靴下も、パンツも詰める。
帰宅した。私が第一リストのお土産をソファの前のローテーブル上にまとめて置くと、彼らは自分の品物を造作もなく選びだした。いつもと変わりはない。次に、私は五つのバッグを並べ、第二リストを胸ポケットからおもむろに取り出し、バッグの持ち主をゆっくり発表した。少し前までスーツケースに収まっていたバッグが、今は、ショーウィンドウに陳列してあるように整った形をしていることを不審に思う者はいなかった。今こそ恨みが晴れる。
めいめいがバッグを手に取った。「思ったよりいいじゃないの」と言いながら、次女がバッグを開けた途端、大きな悲鳴をあげた。直ぐに、五声の怒声アカペラが響き渡った。
私は静かに坐っていた。心には閑寂が訪れた。「リベンジ」という厄介な煩悩が滅却したのである。これで、極楽浄土に一歩近づいた。
令和二年二月二十二日