英語の比較構文に潜むユークリッド空間-I

 比較の論理形式は集合論の順序関係、プログラミング言語(C++)の比較演算、そして英語の比較構文に共通している。英語の比較構文は二次元ユークリッド空間の写像として定式化できる。経験(日常のことば)のなかに数学的な論理(ユークリッド空間)が潜んでいる。本稿は江川泰一郎著の英文法解説(金子書房)の読書感想文である。入門編は「林 譲→エッセイ集→堅白同異ーー英語の比較構文」。  

I.比較の原理
 本章Iは典型的な人間のことば――数学(集合論)、プログラミング言語(C++)、英語――における比較の表現を取り上げ、これらが同じ論理形式(要素、尺度、関係)に従っていることを例証する。この方法論にしたがえば、クジラの公式(クジラ構文)は自然に解釈できる。

I-1.比較の三成分
 もっとも単純な例として、小石の重さを比較することを考えよう。二つの小石の重さを秤ではかり、そのグラム数を記録すれば、小石の重さを比較できる。この比較は三つの成分から構成されている。
● 要素(個体)
● 尺度(測定値)
● 関係(判定基準)
比較の対象である要素は番号または名称などで識別する必要がある。測定値はある決まった尺度から求まる量である。ここでは、同じ秤ではかった小石の重量である。判定基準とは、小石の重さを比べる時に、どちらが重いかまたは軽いかという判定のもととなるルールである。異なったルールからは、異なった比較の結果が得られる。重さは一つ一つの要素に特有な量(プロパティ)であるが、どちらかを選ぶ判定基準は二つの要素の間に成り立つ関係であるという違いがある。比較の三成分はどれが欠けても比較は実践できない。

I-2.集合論における比較
 集合の順序関係はまさしく比較である。比較は対象とする要素をすべて挙げて一括りすることから始まる。この一括りが集合であり、集合を構成する個体を要素いう。比較は二つの要素間に何かしらの関係を必要とする。
 集合の要素は一つ一つ区別できればよい。ただし、必ずしも、集合は沢山の要素が集まっていることは意味しない。n個の要素からなる集合の記法は

{x1, x2, ……, xn

である。ここで、xi(i = 1, 2, ……, n)はi番目の要素を指している。そして、xiのなかみがi番目の要素の尺度(測定値)である。
 iとjを要素の識別番号とし、要素の尺度を実数とすれば、次の二項関係

xi < xj, xi = xj, xi > xj

の中のどれかが成立する。n個ある要素のなかからどれか二つ選べば、>、<、=の判定が行える。この二項関係は順序と呼ばれている。つまり、要素と尺度から成る集合に順序関係という秩序を与えると、比較が可能となるのである。
 集合論は比較の概念を与えているだけで、実際の比較の操作については何も述べない。集合論よりもう少し人間的に、プロパティ(尺度)を積極的に活用するのがプログラミング言語である。

I-3.プログラミング言語による比較
 プログラミン言語には、人の論理思考のパターンが如実に現れている。なぜならば、この言語はいろいろな論理的思考を的確に簡潔に表現できるようにと、そういう目的をもって人が創造した表現形式の集まりだからである。
 集合論の二項関係に比べ、C++による比較は実践的である。C++は比較の手続き(要素、尺度、関係)を一つ一つきちんと順序よく実行する。簡単のために、二つの要素を比較しよう。C++の変数には数学の変数のような添え字がないので、前項のxiをxiと書くことにする。変数x1とx2に数値を代入し、これらの大小関係を調べ、その結果を変数answerに返すC++プログラムは、次のように書ける。
double x1;
double x2;
x1 = 1.2;
x2 = 3.9;
bool answer;
answer = (x1 > x2);
プログラムは一行ごとに順に実行される。第一行はx1という名前の変数(集合の要素)を宣言している。doubleはデータサイズが64ビットの数を意味する。第2行は変数x2を宣言している。第三行と第四行は数値(尺度)をそれぞれの変数に代入している。記号=は右辺の値を左辺の変数に代入する命令である。第五行で変数answerをブール(bool)代数として宣言する。第六行で二項関係(x1 > x2)が真ならばtrueをanswerに代入し、そうでなければfalseを代入するという演算を実行している。上の例では、answerにはfalseが代入される。
 C++は実践的な言語であるから、そこで使われている用語は世俗的でなじみ深い。比較の形式は集合論でもC++でも同じであるので、C++の用語をおもに使うと、比較の形式は次のように書ける。
比較の形式:
● 要素(オペランド):x1とx2
● 尺度(スケール):数値
● 関係(オペレータ):>、<、など
比較の要素はあるスケールではかった量(尺度)をプロパティとして持っているので、比較は大小関係、同値関係という二項関係を表すオペレータに基づいて行われる。オペランドはすこし馴染みが薄い言葉であるので、以下では、比較の要素、尺度(またはスケール)、関係(またはオペレータ)を使うことにする。スケール(尺度)は秤や物差しまたは目盛りを表すことが多いが、計測器で測った量(測定値)も表すことにする。
 コンピュータによる比較演算は有理数の大小の判定だけであるので、逆に考えると、有理数で表される事象ならば、何でも比較できることになる。現実の世界では、しかし、仮想現実の世界とは異なり、どのような事象を比べても意味があるとは限らない。たとえば、ある調味料のうまみとしょっぱさはグルタミン酸と塩化ナトリウムの含量(グラム)でそれぞれ表すことも可能である。だからといって、うまみとしょっぱさの数値を比べてみても味も塩っ気もない。

I-4.英語の比較構文
 人間が記述または口承により伝える情報とその伝達形式は多種多様であるが、英語における比較の形式は集合論やC++と同じである。ただし、会話には話し手が聞き手になにかしらの情報を提供する目的があるので、この目的に適うように比較の形式を少しだけ拡張する必要がある。
 最初の例を挙げる(綿貫、ピーターセン、実践ロイヤル英文法、旺文社より引用)。

The hailstones were bigger than golf balls.―その雹の粒はゴルフボールより大きかった。

比較の要素はhailstones(Xとする)とgolf balls(Yとする)である。比較の演算はbigger thanであり、スケールとオペレータに対応している。上の例はXとYに数値を与えての比較ではないが、球体の直径(または体積)というスケールでXとYをはからなければ――たとえ目で見て推測した直径であったとしても――比較はできない。Xの「測定値」とYの「測定値」が与えられて初めて、形容詞biggerは適用可能な関係(>、<、=)の中から、>を指定できる。つまり、biggerとthanは対となって直径というスケールと大きい方という関係を指定している。形容詞をスケール、thanをオペレータと考えることにする。
 会話の主要な目的は聞き手が知らない情報(未知情報)を聞き手に伝えることである。上の例文では、誰でもが知っているゴルフボールの大きさ(既知情報)を基準にして、ある時にある処で降った雹の大きさ(未知情報)を聞き手に伝えている。
 集合論とプログラミング言語は比較の演算(スケールとオペレータ)に焦点を絞っているので、比較すべき要素を区別しない。本章は比較の要素を伝達すべき未知情報(対象)と話し手と聞き手に共通の既知情報(基準)とに役割分担させる場合を扱う。そこで、前項での比較の形式を次のように拡張する。
比較の形式
● 要素:XとY
X:未知情報(対象)
Y:既知情報(基準)
● 尺度(スケール):形容詞
● 関係(オペレータ):than(>)、as……as(=)
順序集合やC++のスケールとは異なり、英語の比較に使う形容詞は数量を表す形容詞以外に、感情を表すもの、性状を表すもの、論理的な事柄を表すものなど多くの種類がある。美しいとか、よい、きついなど数値で表すことができない情報でも、話し手は独自のスケールでその程度をはかっている。英語の比較も三つの成分(要素、スケール、オペレータ)から成っている。
 英語の比較の形式が厳密に成り立っていることを確認するためには、いわゆる「クジラの公式」が好例である。

A whale is no more a fish than a horse is.―クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じである。

この文章は「クジラが魚である(対象X)」と「馬が魚である(基準Y)」を話し手のスケールで比べている。noはすぐ後ろにあるmoreに係っているので、対象Xを否定しているのではない。スケールno moreは比較の要素の蓋然性moreとは反対方向を指しているので、話し手の見解はXの実現確率(測定値)はいくら高くてもYの実現確率(測定値)くらいであるとなる。結果的に、基準Yの確率は非常に低い(実際はゼロ)のであるから、対象Xの確率も同様に低いことになる。クジラが魚でないことを伝えるために、要素Xの可能性が無いことを、話し手と聞き手に共通な知識(要素Yの可能性が無い)から導いている。no more thanに対応するオペレータ(≦)については、あとで議論する。
 話し手は自分の尺度で要素のイメージ(測定値)を捉え、大小関係または同値関係を利用して複数の要素を整理する。例文「雹の比較」のスケールはbiggerであり、話し手が球体の直径に関連するような「測定」をしていると考えた。直径は数値で表せるが、biggerは普遍的なスケールではなく、話し手独自のものである。事実、文章中のbiggerには直径、体積などの指定はない。「クジラの公式」の比較の尺度moreにおいては、この話し手の独自性はさらに明白であろう。スケールが話し手独自のものであっても、その主張が聞き手に受け入れられるのは、聞き手も同じようなスケールを想定しているからである。
 クジラの公式の日本語訳では、対象も基準もどちらも否定文で書くことがある。一方、英語においては、基準である節を否定文(a horse is not)にすると、文章は意味をなさない。なぜならば、馬が魚でない確率は100%であるから、「クジラが魚である(X)」確率は100%も可能になり、Xを確実に否定することはできないからである。noは命題Xを否定しているのではなく、比較の演算を否定していることを考慮すると、その日本語訳は、「クジラが魚であることは、馬が魚であるほどの可能性しかない」となる。こうすると、「ない」は一つとなり、比較の演算を否定する。
 同様に、no less ~ thanも解釈できる。

A whale is no less a mammal than a horse is. ―クジラが哺乳類であるのは、馬と同じである。

この場合は、(no less ~ than+基準Y)における基準Yの実現可能性が高い、つまり基準Yは事実である。(no less ~ than+基準Y)と(no more ~ than+基準Y)、どちらでも聞き手が知りたい情報Xと基準Yの実現可能性ほぼ同じであるが、その絶対的な可能性は異なる。
 比較演算(スケールとオペレータ)の否定をもう少し考察する。否定演算no more than(>の否定)に対応するオペレータは≦であり、これは同値であることも含む。この事実は次の例からも知れる。

There were no more than ten people present.―たった十人ほどしか出席していなかった。

スケールはmoreであり、noに修飾されている。対象Xは、あらわには書かれていないが、「出席していた人」であり、基準Yはten people(十人)である。オペレータ≦は<と=の和であるが、英語では、対象と基準は同等とする(X≒Yと書く)。「たった……ほどしか」から分かるように、対象Xは話し手のスケール(期待度)としては低い値を持つ。以下で述べるように、このmoreは数値の大小関係を判定するスケールはなく、Xの価値を判定するための話し手独自のスケールである。
 比較の演算no less thanも同様に解釈できる。ただし、no less thanにおける基準Yは話し手のスケールとしては高い値を持つ。たとえば、

It is no less than a miracle for a pilot to survive a collision in mid-air. ―パイロットが空中衝突をして生還するのはまさに奇跡だ。

奇跡はまさに最高評価である。
 no more thanとno less thanを「対象X+スケール+than+基準Y」の基本原理から再考しよう。XとYの同等性を前提とする。上の例「no more than ten people」の主張は、参加者(X)が十人であったことに対する話し手の思いである。「十人」は見ればわかるし聞けばわかるので、話し手と聞き手に共通な知識(Y)である。XとYは同等であるから、問題はX(≒Y)が話し手のスケールmoreのどこに位置しているかである。正方向(または好み)のスケールmoreはnoで修飾されているので、Xの最終評価は低いことになる。自分のスケールに従って、話し手は「十人の参加者がno moreである」、つまり、Xは期待外れと判断したのである。一方、no less than ten peopleとすれば、好ましくないネガティヴなスケールlessにnoが付いているので、参加者(=十人)は期待以上だったことになる。Yが同じ(ten people)でも、異なったスケールで測れば、X(≒Y)の評価が異なるのは当然である。この場合、moreとlessは数値を比較するスケールでなく、話し手独自のスケールであることは、もう一つの例no less than a miracleから納得できる。miracleは数値で測れる量ではないからである。比較X≒Yは二つの意味をもち、それらはXとYが同等であることと、話し手のスケールによるX(≒Y)の評価である。
 as much asは同値関係を述べているので、これの否定not so much asは対象が基準とは異なることを意味する。たとえば、

He is not so much a scholar as a writer.―彼は学者というより物書きだ。

話し手の尺度(not much)をもってすると、対象「彼が学者である」は基準「彼が物書きである」ほどの信ぴょう性はないのである。次の例も同様である。

He did not so much as apologize to me.―彼は私に謝りさえしなかった。

対象がdidで、基準がapologizeである。つまり、彼は何かをした(did)のだが、話し手の尺度(not much)からすれば、それは謝る(apologize)ほど印象深い(much)行為ではなかった(not)のである。
 L氏が経験したまさに印象深い行為を紹介しよう。「統計学の国際会議で、私はあるアメリカ人と談笑していた。すると、そこへあるイギリス人が来て、彼と話をしたいと真面目な面持ちで言ったので、私は何時が希望かとそのイギリス人に尋ねたところ、彼は‘No less than now.’と答えた」。L氏は、すぐに席を譲ったそうである。

I-5.おわりに
 数学や論理学は定義から出発して様々な定理に至るという演繹的なプロセスによって体系を築き上げるため、確立された体系は時を経ても変わることはないアプリオリなものである。順序関係とC++の比較どちらにおいても、三成分(要素、尺度、関係)が定義であり、根本原理である。一方、英語を含むすべての日常語はアポステリオリであり日々変化しているので、多くの現代文を参考にした帰納的な理解は当然である。しかし、ものとものとの比較は特定の思考パターンに従っているので、比較の表現(ことば)には人々に共通な思考パターンが反映されているはずである。この考えに沿って、本稿は英語の比較構文を比較の原理にさかのぼって解釈した。
 五十代後半のことだったろうか。否、還暦を過ぎてからだったかもしれない。友人が薦めてくれた江川泰一郎著「英文法解説」(金子書房)を、通勤電車の中、ソファーの上、布団の中、ひと月くらい無我夢中に読んだ。楽しい思い出である。その時のメモを整理したものが本稿(IとII)である。「英文法解説」にはほんとうに感謝している。


林 譲 平成30年6月23日