類は友を呼ぶ

 私がアメリカのヴァージニア州のある大学の化学部で客員研究員(visiting scientist)としてのポストを得ていた、一九九〇年ころの話である。当時、私は三十代後半で、妻子を日本に残し、単身赴任していた。日本でパーマネントな職に就いていたので、アメリカのポストはいわゆる副業の出稼ぎで、一年間の期限付き出張だった。私が所属していた研究室の全体の研究テーマは数学的手法の分析化学への応用であり、私自身のテーマはカルマンフィルターの相互情報量の研究であった。
 研究室は小規模で、教授と十人に満たない大学院生と学部学生から構成されていた。彼らのほとんどが白人のアメリカ人であったが、外国人の研究生とポスドク(博士研究員)が数人いた。一人はアフリカ某国出身の黒人、母国の第二権力者の息子で、背が高く、軽くジャンプするだけで天井に手が届いた。他の一人は台湾人で、両親と弟と共に数年前にアメリカへ移住してきた。
 この台湾人の研究生は二十代前半で、ジョンと愛称で呼ばれていた。正式名はJonathanだったと思うが、定かではないし、名字はまったく思い出せない。彼はなかなかの男前、背丈は日本人並み、人懐こく、口が達者だった。はるか遠くからわざわざ異国にやって来たモンゴロイドという共通点から、お互いに親近感が湧いたのだろう。私たちはよく話をした。しかし、研究のことを話題にした記憶はほとんどなく、たわいのないことで笑っていた。ドラエモン、ドラゴンボール、ヒデキが彼の母国では人気があったなど。有用な知見もあった。広東語と北京語はまったく違う言語であるから、広東語を話す中国人と北京語を話す中国人が大学構内で出会うと、彼らは英語で話をする。
 私はジョンと一緒に大学のカフェテリアにたびたび行った。そこは、国際会議の会場のように、さまざまな人種の混淆(こんこう)であった。暫くすると、私は奇妙なことに気がついた。カフェテリアはビュッフェ形式なので、食事は、各々が自分の分を皿に取って好き勝手に席に着くのであるから、人々は参差錯落(しんしさくらく)、点描画のドットのようにとりどりの色合いで席に散っていると私は思っていたのだが、実際は違っていた。同じ人種どうしが群れていて、いつもそうだった。金髪を編み込みスタイルにした白人の若い男が黒人グループに交ざっているのを見たことがあるが、これは例外である。実際、私とジョンはいつも一緒にテーブルについていた。
 さっそく、私はこの発見をジョンに披露した。説明のために、次の諺

 Birds of a feather flock together.
 (定訳)類は友を呼ぶ
 (直訳)同じ羽色(はいろ)の鳥は互いに群れる

を持ちだすと、彼は怪訝な顔をした。彼の応答は私には全く予想外であり、その理由は皆目見当がつかなかった。尋ねてみても、彼は言い渋っていた。それでも私が押し通すと、彼は
「この諺は品位に欠ける」
と答えた。
 今度は、私が怪訝な顔をした。私はときどき理屈っぽいのだが、拙い英語がかえって私の体裁をミステリアスな碩学の老僧と繕っていたようで、ジョンが私を粗略にすることはこれまでなかった。だから、今回は何かしらの誤解があったに違いない。しばらく話をしていると、その原因が明らかになった。彼はflock(群れる)という単語を知らなかったのだ。彼はアメリカには数年間暮らしていたので、日常会話に問題はなかったが、全般的な英語の語彙はまだ不十分だった。知らない単語を正確に聞き取ることは難しいから、彼はflockを自分の知っているF-wordと勘違いしたのだった。
 後日、私はジョンの誤解を研究室の大学院生らに話した。
 すると、彼らは大爆笑し、次に、絶賛した。
「ジョンのヴァージョンはオリジナルよりはるかに分かりやすい」
 なお、F-wordはfで始まる卑猥な単語である。従って、ジョンのヴァージョンは
「同じ羽色の鳥は互いにF-wordする」
 であった。

令和二年六月九日