吉祥寺と井の頭公園について

 吉祥寺の魅力は、単に自然に恵まれているだけではないと思う。
吉祥寺に隣接した井の頭公園の自然は、かつて、散策好きな文人たちが愛した武蔵野の面影を残す雑木林である。樹木も都内の公園のものとは違って、山林にあるイヌシデ、アカシデ等の落葉樹が多い。ここら辺りが、都内から山の方向に向かって、樹木の種類が変わる分岐点にあたる。井の頭公園から更に郊外に行けば、確かに自然に恵まれた場所は数多くある。しかし、それらは、ハイキングの目的だけの場所であり、吉祥寺周辺が持つ、都会的な享楽が欠けている。小奇麗な洒落たレストラン、若者向けのファッション店、近くに大学があり、その周辺の閑静な高級住宅街など。そうしたものと、武蔵野を偲ばせる自然が、隣接して両立している場所なのである。
規模ではまったく異なるが、ニューヨークのセントラルパークに似たロケーションと思われる。
それは、都会にありながらも公園が商業的に俗化しておらず、バードサンクチュアリやボーイスカウトが利用する演習林がある自然保護区であることの共通性である。
これは公園の持つ魅力において極めて重要な点であると思う。
更に、池のほとりには弁財天が祀られており江戸時代からの歴史を感じさせる名所がある。
この境内は、小川のせせらぎだけしか聞こえない、時間が止まったような静寂に包まれている(where only the murmur of the stream is heard, surrounded by thick silence as if time were stopped) 。それに春は、池の周囲の桜の花見が楽しめる。
この様なロケーションは、東京において私の知る限りここしか存在しない。
 私が気に入っているもう一つの魅力は、この公園を訪れる人々の表情である。
井の頭公園は、ジョギング、ウォーキングの愛好者、犬を散歩に連れる愛犬家の聖地でもある。ジョギングする人たちの日課が終わって、お昼前から一般の行楽客が押し寄せる。 仲間と連れ立って楽しそうに語り合う若者達、赤ん坊を入れたベビーカーを押して散歩する若夫婦、仲良く一緒に散策する年配の老夫婦、車いすで押されながら陽光の公園を楽しむ老婦人、池でボートに乗って静かに語り合うアベック、池の畔で黙々とキャンバスに筆を運ぶ中年の日曜画家等、公園に訪れる人々の表情が明るく生き生きしている。如何にも幸せそうである。こうした人々を眺めていると自分も心が和む。
 ここは、何か特別な場所であるように、私が小さいころからある種の霊感を感じていた。
私は、公園の自然公園周辺には、ある種の自由の精神が漂っていると感じることができる。
このような感覚は、かつて、大学のキャンパスの森の中で味わった感覚と同じである。
青春の息吹のような自由の精神が存在している。井の頭公園は、そんなことを感じさせてくれる場所です。

平成28年9月14日 山本 毅